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最高裁判所第三小法廷 昭和26年(オ)327号 判決 1953年12月15日

愛媛県周桑郡国安村大字高田七五六番地

上告人

青野トシヨ

右訴訟代理人弁護士

大山菊治

野町康正

同所

保持時夫

被上告人

青野親

右訴訟代理人弁護士

馬越旺輔

渡部親一

右当事者間の不動産所有権移転登記手続等請求事件について、高松高等裁判所が昭和二六年三月一〇日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があり、被上告人は上告棄却の判決を求めた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

本件を高松高等裁判所に差戻す。

理由

上告代理人大山菊治、同野町康正、同保持時夫の上告理由第一点について。

原判決は、上告人が時効により本件不動産の所有権を取得したという主張に対し、本件不動産には被上告人の所有である旨の登記があるのであるから、上告人がこのことに気付かないで占有を始めたものとすれば、少くとも通常人の払うべき注意を怠つた過失があるものというべく、無過失占有の要件を欠くから取得時効の効力を発生しないという理由で上告人の主張を退けたのである。しかしながら本件上告人のように、贈与を受けたものと信じ所有の意思をもつて不動産の占有をはじめた者が、民法一六二条二項に定める過失がなかつたかどうかは、その占有者が贈与により所有権を取得したと信ずるについて過失の有無を定めることを要しまたこれをもつて足りるのであつて、その不動産に贈与者の所有である旨の登記がある場合、このことを知つていたかどうかは過失の有無について考慮に入れることを要しない事項であると解すべきものである。けだし贈与は、贈与者に所有権があることを前提とするから、贈与者名義の登記があることと、受贈者が所有の意思をもつてこれを占有することとはなんら相排斥するものとはいえないからである。されば原判決が、本件不動産に被上告人名義の所有権の登記があることを上告人が知らなかつたことにつき過失ありとして上告人の主張を排斥したのは、取得時効の要件に関する民法の解釈を誤つた違法があるものといわなければならない。上告論旨はこの点において理由があり原判決は破棄を免れない。

同第二点について。

原判決の理由によれば、被上告人の義務について「昭和十二年六月十八日……控訴人(上告人)に対し毎年飯米として玄米十二俵宛を給付する外商品その他を贈与することを約し」と認定し、進んで上告人の玄米の給付に代る金銭賠償の請求について、「右の玄米は母たる控訴人(上告人)及び義妹に対する扶養義務の履行方法として被控訴人(被上告人)が自己所有の田の小作米から供給することを約したのであつて」と判示している。この趣旨が、右契約は当事者間における扶養に関する特約すなわち当事者が任意に扶養に関する権利義務を定めた契約と認めたものとすれば、かかる場合は、扶養に関する権利義務はこの特約により定まれる債権関係であるから、扶養に関する民法の規定によつて直ちに契約に基く請求を排斥することはできないと解すべきところ、原判決が上告人の請求を退ける理由として判示するところは、被上告人の義務をもつて全く特約の伴わない民法上の扶養義務として判断したものとも解せられ、その説明によつては必しも直ちに履行に代る金銭賠償の請求権を生じないと断定する理由を納得することができない。従つて原判決は本件における被上告人の義務の法律上の性質を確定し、これに副う理由をもつて上告人の請求の成否を定めることを要するにかかわらず、これに出なかつたのは、この点においても理由不備の違法あるを免れない。

よつて原判決を破棄し、高松高等裁判所に差戻すべきものとし、民訴四〇七条に従い裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上登 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)

昭和二六年(オ)第三二七号

上告人 青野トシヨ

被上告人 青野親

上告代理人大山菊治、同野町康正、同保持時夫の上告理由

第一点 原判決は登記の性質及び効力を誤解し、取得時効の要件である過失の解釈を誤つた違法がある。

原判決は上告人の取得時効の主張に対し『控訴人は時効により本訴不動産の所有権を取得したと主張するけれども、該物件については被控訴人の所有である旨の登記がある(このことは成立に争ない乙第二、三号証によつて明かである)のであるから控訴人がこのことに気付かないで占有を始めたものとすれば少くとも通常人の払うべき注意を怠つた過失があるものといふべく、無過失占有の要件を欠くものとして取得時効の効力は発生しないものというべきである。して見ると右不動産に対する取得時効の完成を原因とする請求も理由がない』と判示し、結局被上告人の所有名義の登記があるから上告人に過失があるとの見解を採られたのである。

然れども本件不動産は昭和十二年五月親族一同立会の上、上告人等と被上告人と財産分与をした際、当時被上告人等が住居して居つた家屋及畑であるから上告人は自分に分与されたものと信じ爾来引続き自己の物として而も住居として占有使用して来たものである。

而して登記名義の如きは対抗要件であつて当事者間に於ては登記なくとも所有権者は所有権者であり上告人から被上告人に請求すれば何時でも移転登記が出事るものであるからその儘にして置くことは法律知識の乏しい田舎殊に親子間に於てはあり得ることであり、移転義務のない第三者の所有名義の登記あるものを占有して居る場合とは異なるものである。従つて登記名義が被上告人名義であるからと言つて過失があるとは速断出来ないものである。果して然らば原判決は登記の性質及び効力を誤解し民法第百六十二条第二項の過失の解釈を誤つて上告人の主張を排斥した違法がある。

第二点 原判決は法律上の扶養の義務及び債務不履行の責任に関する解釈を誤つた違法がある。

原判決は玄米の給付に代る金銭賠償の請求につき『按するに昭和十二年六月被控訴人から控訴人らに対し飯米として毎年玄米十二俵宛給付することを約したことは前認定のとおりであるけれども当審における被控訴本人(被告)尋問の結果によれば右の玄米は母たる控訴人及び義妹に対する扶養義務の履行方法として被控訴人が自己所有の田の小作米から供給することを約したのであつて当初一年分の十二俵を引渡したがその後他国に出て所々転々としていたため小作米の収得もないことを認め得べく、しかもその後食糧管理法その他の統制法施行せられ玄米の移動は禁止せられている今日之か引渡は法の禁ずるところなることは顕著な事実であるしかのみならず扶養義務は扶養を受くべき者が自己の資産又は労務によつて現に生活をすることができない状態にある時に限りその生活に必要な物資を供給せしめるものであるから被控訴人に対し過去十余年間における扶養料(玄米)を既往に遡つて請求するが如きは到底認容せられない。従つてこれか履行に代る金銭賠償をもまた請求し得べき限りではない』と判示した。

然れども本件玄米を被上告人から上告人に対し昭和十二年以降毎年十二俵宛贈与することにしたのは財産分与の際これに附随して先代藤二郎死亡後上告人が買受けた田地一町余及び山林を被上告人が取得することとなり相当小作米も這入るので一人当り三俵宛位の食糧を出さしてもよいとの話合の結果贈与することとなつたのであつて民法上の扶養の義務の履行として決定したのではないのである。而して被上告人は最初一年分を履行したのみで(上告人本人訊問では三俵貰つたのみと云ふ)その後は履行しないから上告人はその不履行に因るこれに代る代金相当の損害金の支払を求めて居るのである。従つて昭和十七年以来食糧管理法その他の統制法施行せられて玄米の移動が禁止せられたとしても少くともその以前は履行の義務があり不履行のときはこれに代る損害賠償の義務があるのは勿論であり、食糧管理法施行せられ玄米の移動禁止後は法律上履行不能となつたのであるからこれに代る代金相当の金員を支払ふべき義務があるのである。殊に被上告人が失敗して田地を売却したのについてはその責任があるものと思ふ。又前述の通り本件は法律上の扶養義務の履行として話合が成立したのでなく財産分与に附随して田地を多く取得した被上告人が便宜上告人等の飯米の足しに玄米を贈与することを約束したのであるからその不履行のときは不履行の部分については時効に罹らぬ限り後に至つても請求出来るのは法律上当然である。然るに原判決は前示の通り食糧管理法その他の統制法施行せられて玄米の移動が禁止せられたこと及び上告人の請求は法律上の扶養料の請求なりと独断して過去に遡つて請求は出来ないものと判断したのであるから民法上の扶養義務の規定の解釈及び債務不履行の責任に関する解釈を誤つて上告人の主張を排斥した違法がある。

以上

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